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かかととかかと

かかとを負傷した結果学んだこといろいろ。 ・接骨院は怖いところじゃない ・足を怪我すると革靴は履けない ・松葉杖は意外と高い。杖も高い(3000円~) ・ダイソーで売ってる150円杖の素晴らしさたるや ・電車の優先席で譲ってくれるのは9割女性 (男はそもそも寝てる) ・東京のひとは足が速い、速すぎる そんなに急がなくてもいいじゃない ・怪我人に優しくない駅のつくりと構造 ・普段かかとが支えている体重の重さ ・かかとの骨は踵骨(ショウコツ) ・今回やったのは骨ではなく神経部分の骨梁(コツリョウ) ・怪我をするなら若いうち(回復が早い) ・ ・ ・ ・普通に歩けることの大事さ

かけてほしい?ほしくない?

人は誰しも 「掛けてほしい言葉」と 「掛けてほしくない言葉」を 常に持っている。 もちろん 「掛けてほしい言葉」で声を掛けるのは大事。 だけど その人にとっての「掛けてほしくない」NGワードは何なのか。 それを考えることも同じくらい大事。 しかし更に事態を悪化させる、厄介なことがある。 この2つは、常に変わるのだ。 ハイデガーも言っているが、人間は刻一刻、瞬間瞬間で変化する。生まれ変わっている。 人間、一貫性があるようで、実は一貫性がない。(そして実は、それはそういうものだ) そんな「常に変化する」相手の「瞬間」にとっての、 OKワードとNGワードは何なのか?と、探る姿勢 そういう意味でコミュニケーションというのは、 その一瞬にしか発生しない貴重なもの

花は香り 人は人柄

花は香り、人は人柄。中国の言葉だ。 本当に美しい花は、すごくいい香りがする。 本当に人間的な魅力のある人は、人柄がすごくいい。 人柄は何かというと、まるでいい花のように、香りがする。 白雪姫は寝てたにもかかわらず、王子様が見つけた。 魅力なかったら見て見ぬ振りをしただろう。 ぱっとみて気になった。 眠っていても何かしらの魅力があるかどうか。 無意識でいても、魅力的かどうかが大事。 エネルギーのある男性はそういうところを見る。 何をせずとも、漂う魅力。 漂う魅力は、 色気とかではなく、 におい。 においは性格。

見えてないせかい

足を怪我しました。。 打撲。 かかとが痛くてゾンビ並みの速度でしか歩けない。 怪我直後、その状態で通勤ラッシュの駅を歩きました。 松葉杖もなかったため、手すりに必死で摑まりながら歩く。 周りの人は誰も助けてくれる様子はない。気にもとめていないようで。 周りの人にはどうやら私は見えていないよう。 生まれてこの方接骨院に行ったことがなく(それ系の怪我をしたことがなかったので)、 少し怖かったが、入って見るとなんのことはなく、親切ににこやかに治療してくれました。 接骨院はいつも通る道にあったが、怪我をするまでは全く視界に入っていなかったです。 健康な俺に接骨院は見えていなかった。 駅をゾンビのようにゆっくり歩いていると、 周りの人は気づいてくれる人もいるが、気づいていない人も多く、 結構ぶつかりそうになってしまう。 ステッキを買って視覚的に見えるようにすると、 やっと俺を認識して、避けてくれるようになった。 周りの人に俺は見えていないようで。 帰り道をゾンビのように歩いていると、 いつも早歩きで素通りしていた世界がたくさん見えるようになった。 小さな看板に書かれた文字や、道路脇にある花の存在。 早歩きしていた時、それらは見えていなかった。 人は自分と関係ない世界を無意識にシャットアウトし 見えなくしているのか。 今回の怪我で 介護用品の杖売り場のスタッフさんと話したり 接骨院の先生や受付さんと話したり 怪我をしなければ一生関わることのなかったであろう人たちと話した。 そしてそれは今の所、多くの学びにつながっていると感じている。 たまには怪我をすることも必要なのかもしれない。 …なんてな