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鍛冶橋おじさんとの出会い

先日、銀座へ向かうべく 東京駅から電車を降りて 銀座方面に向かって歩いていました。 東京駅と銀座は、微妙に遠いかもしれませんが、 歩けなくはない距離なので歩いちゃいます。 さて、もうすぐ銀座一丁目駅の入口が 見えてくる、というところまで歩いていったのですが… ここで、ある衝撃的な体験をしました。 歩いている私の前に おじさんが正面から歩いてきて 「あれ鍛冶橋だよね?」 と僕に声をかけてきたんです。 突然です。 僕は混乱しました。 2重の意味で混乱したんです。 ・鍛冶橋ってなんだろう? っていうのと、 ・突然聞いてくるって…このおじさん何者? の2点です。 ・鍛冶橋ってなんだろう? 僕は、鍛冶橋というのがわかりませんでした。 橋?この変に橋なんてないしなぁ。。。 (後ほどググったら、おそらく 「鍛冶橋通り」「鍛冶橋交差点」のことだったみたいです) ・突然聞いてくるって…このおじさん何者? 普通なら「すみません、ちょっとお伺いしたいんですが」 のような「前置き」が入るはずです。 英語にしたってExcuse meみたいなのは入ります。 見た目的には、特になんの変哲も無い日本人のおじさんです。 特段ファッションがイケてるとか、 イケメンだとか、そういうのはありません。 ごく普通の40〜50代くらいのおっさんです。 電車の中なら新聞広げてるのがお似合いな感じです。 ここで面白いことに気がつきました。 ふつう、 見知らぬおじさんが 「すみません」を挟まずに突然聞いてきたら、 ちょっとムッとするというか、身構えちゃいますよね。 うわ、なんだろうこのおじさん! って思っちゃうわけです。 ここをお読みの誰もが、そうなるでしょう。 しかし。 しかしですよ。 僕はあまりムッとはしませんでした。 それは別に僕が常に心中穏やかだとか、 そういうのには慣れているんだとか、 そういうことを言いたいのではなく、 このおじさんは上手い手法を使っていたんです。 それによって僕はムッとせずに、 「返答せざるを得ない状況に追い込まれた」んです。 それは何か? 「鍛冶橋」という言葉です。 「鍛冶橋」

トランペットと男性性

トランペット。 オーケストラの中でひときわ目立つ存在です。 金管楽器のなかでも、担当する音域はいちばん高い。 金管楽器の隊長、ひいては、オーケストラの リーダー的存在でもあり。 うまく吹ければ神のようにあがめられ。 そんなトランペットにあこがれ、 僕は昔吹奏楽部でトランペットに挑戦したことがあります。 しかし。 これが実際やってみるとたいへんむずかしい。 まず、高い音が出ない。 どうしても5線の上を超えた音が出せない。 高い音を出そうとすると、唇の皮が腫れ、むけた。 血のにじむような練習を日々積み重ね、 奏法を相当詳しく研究してみました。 でも結局、部活の先輩よりうまく吹けるようにはなりませんでした。 その難しさからか、僕は部活をやめて、すぐ挫折してしまいました。 その後、 チューバに転向してイギリスの音大に通ってみたりしたけど、 何かどうも、しっくりこないところがあって、 結局は今は楽器自体やめてしまいました。 あれだけ楽器が好きだったのに、 楽器をやめてしまった。 この楽器をやめた理由というのは、 自分自身のことでありながら 実は最近までよく分かっていなかったんです。 何かしっくりこないことがあったというのだけは わかっていました。 でもそれが言葉に出来ない。 でもつい最近、それを言葉にすることが できるようになってきたんです。 自分はその頃、男性性が強すぎた。 だから、金管楽器に惹かれる傾向があった。 金管楽器のプレイは全体的に男性性が 強くもとめられると思う。 それはオーケストラで求められる役割を考えれば当然。 繊細さのような女性性を要求されるところは、 スコアリングの段階で弦楽器や木管楽器に割り振られている。 男性性は金管楽器の出番。 音楽史上、作曲者も演奏者も、その理解の範疇にいれば 問題無い、というのがつい最近までの暗黙の了解だった。 もちろん、金管楽器の演奏上、女性性が必要な場面はある。 例えば、トランペットなら、 マーラー交響曲第3番フィナーレ終盤のトランペットソロ。 あれなんかは、クラリネットみたいな感じで 吹かないといけない。 神に祈る修道女のよう。絹のような滑らかさと繊細さが必要で、しかもハイトーン。 間

ゲームは熱いのか?冷たいのか

最近、 ゲームに関して、いや ゲームをするということに関して、恐ろしいことに気がついてしまいました。 ゲームをやっている間、「冷めている自分」にふと気づくことがあります。 やっている間というのはちょっと語弊がありますかね、 厳密に言えば、ゲームをし終わった時です。 「ああ、何やってんだろう」って思うんですね。 これは、いつから発生しているんでしょうか?と思って 昔を思い返してみました。 ゲーム自体は小学校の時からやっているけど、 そういや小学校の時から、そういう「冷めている感じ」はありました。 ちょっと別の言葉で考えてみると、 どうしてもゲームをしている間って思考停止してしまう。 ゲームをしている間の自分は、 以下のようになっているようです。 無表情 冷酷 無関心 怠慢 とにかく冷たい。 ゲームがこのような心情を助長する訳ではないけど、 どうしてもこういう「冷めた傾向」になってしまうのではないでしょうか。 良い面で考えてみれば、 リラックスしているとも言えるかな。 でも、大体の場合は「冷めた感じ」かなと。 「熱量」は低いジャンルだと思います。ゲーム。 人を熱くするものではなく、 どんどん冷却していくものだと思います。 そう気づいたこともあり、 私は最近ゲームから離れています。 PS4 を持っているしゲームソフトも買っていますが、 いわゆる「詰みゲー」が増える一方で、 全然消化できていないです。 一時期のめり込んでいた スマホのゲームも最近はほとんどやっていません。 最近熱くなれるようなゲームが無いのもまた一因ですね。 むかし、学校で友達とゲームの話をするときはちょっと熱くなりました。 でも今はそういうのも無くなって、かつ 熱くなるようなゲームもない。。 のが 昨今のゲーム界です。 しかし、最近「見ていて」熱いゲームがあります。 ゲーム実況動画です。 ゲーム実況動画っていうのは、いわゆる他人がゲームをプレイしている動画です。 YouTube やニコニコ動画などに大量にアップされています。 自分でゲームをやっても楽しめなく

ロングトーンと東京の表情

日曜。 妙にお腹が空いている。 駅地下で食べていこう、と思って入ったうどん屋さん。 隣に女子高生二人が座って話していたんですが (高校生かな?) うどんを食べつつ耳を傾けてみると、 その子が「ロングトーン」という単語を 発していました。 思わず耳に飛び込んできたこの単語、 「ロングトーン」。 これは知る人ぞ知る単語、 吹奏楽部だった人なら誰もが知っているであろうワードです。 long tone ということで、その名の通り 音を長く伸ばす、という楽器をやる人なら 誰でも通るであろう基礎練習のことです。 その女子高生2人組は、 ロングトーンの練習って大事だよねー、的な話を続けていた。 長いうどんをすすりながら。。 帰りに銀座に寄る。 歩行者天国は人が沢山いる。 場所柄中華系の人が沢山いる。 家族連れ、友達連れ。みんな楽しそう。 そういや、外国人ってみんな楽しそうだ。 笑顔な人が多い。 東京だと街ゆく人の表情は暗い。 日本人と外国人で明らかに表情が違う。 楽器やった人ならわかるかもしれない話ですが … ロングトーンやってる間って、 無表情になるんですよね。 むっつり。 まあ、笑顔で楽器吹いてる人ってあんまりいないと思うんですが笑、 とにかくそういう顔になります。むすっとした感じ。 日本人は常にロングトーンしてるような 顔をしてる。 表情がなくなっている。 見よ、あの銀座の外国人達を。 笑ってる。楽しそうじゃないか! (まあ旅行に来てるんだから楽しんでるのは当たり前かもしれないけど)。 今のこの日本に暮らしていて、 明るい表情をするっていうのは、 なかなか難しいことなんでしょうかね。 夢も希望もない生き方というのに 慣れきって、しかもその状態が延々と延々と続いてる。 日本人は耐えるのが結構好きみたいなところがあるから 我慢し続けちゃう。 でもやっぱり限界がいつかは来るんだと思う。 その臨界点を超えた時に ダムが決壊するように、一気に崩れてしまったら。。 日本人は今すぐロングトーンをやめるべきなのかもしれない。

ファッションは徳積み

「信頼残高」という言葉があります。 「7つの習慣」(コヴィー著、 Amazonリンク )に出てくる考え方です。 この本を読んだ事のない方向けに簡単に考え方を要約すると、 「信頼」というものを銀行の「残高」に見立てたもの です。 口座に「信頼」を入れることで貯えができますし、 必要に応じてそこから「信頼」を引き出すこともできます。 「礼儀正しい行動、親切、正直、約束を守るなどの行動を通して 信頼残高をつくっていけば、そこに貯えができる。 残高を高めることによって、必要とあらば、 その信頼を何度でも頼りにすることができる。」 とは本書の引用ですが、これが「信頼残高」です。 夫婦関係が悪くなるのはなぜか。 それは信頼残高がゼロになってしまっているからです。 地球上で二人の人間が経験できる最も親密で充実した関係になり得る 夫婦関係においてでさえも・・・関係が悪くなることがあるのです。 それを防ぐためには、継続的な「信頼残高」の「預け入れ」をしなければならない。 と、ここまではほぼ引用ですが、 これが「信頼残高」という考え方の要約です。 僕はこの考え方自体が素晴らしいと思いました。 日本で言うところの「徳」(virtue)に通じるものがありますよね。 「徳」を「積む」行為に近いと思います。 人が見ていないところで徳を積むことによって、 ある時点で、その「徳」が自分に跳ね返ってくることがありますよね。 そしてここでふと頭をよぎったのは、ファッションのことです。 結構な量の服を買い、 毎日違う服を着ていると、時折 「これは誰のためにやっているのか?」 と思うことがあります。 服は自分のために着るのでしょうか? いや、そうでもないです。だって、完全に「自分のため」だったら、 もっと着心地の良い楽な服(パジャマやジャージ)を買うでしょう。 そしてそれを着たまま一日中を過ごすわけです。 たぶん、自分のためでないのだったら、 誰かのために服を着ているのでしょう。 服について考え、コーディネートを考え抜き、 結論を導き出してそれを着て外へ出かける。 そこには、「信頼残高」の概念が存在していると思ったんです。 街中へ出かけるわけですから、当然 誰かの目で見られます。 誰かに見ら

インフルエンサー、whoの時代

「インフルエンサー」という言葉をよく聞きます。 いまこれマーケティング用語になってるみたいですが、 特段今になって出てきた言葉というわけではなく、 言葉としては大昔からあるものです。 influenceに-erをつけて「影響」を「ヒト化」した用語ですね。 「影響人間」とでもいいましょうか。 最近流行っている言葉って、 みんな”-er”が付いてますよね。 フォロワー、インスタグラマー、ユーチューバー。 influence → influencer follow → follower instagram → instagrammer YouTube → YouTuber という感じ。 言葉というのはどんどん進化していくもの。 その進化の仕方というのは、実は時代を反映します。 名詞に-erが付くというのは、さっき言った通り、要は”ヒト化”。 言葉からしてどんどん”ヒト化”が進んでいる、という メッセージとも受け取れます。 ここまで考えたら、ちょっと恐ろしいことに気づきました。 別の言葉で言い換えてみます。 —————— 今の時代はとにかく 「誰が言うか?」の時代になっている。 「何を言うか?」の時代はとっくに過ぎ去ってしまっている。 —————— 例えばSNSでフォロワー数8ぐらいの人間と フォロワー数10,000ぐらいの人間が どちらも同じ主張・発言をしたとする。 説得力があるのはどちらでしょう? 圧倒的に後者の方が説得力がありますね。 フォロワー数が1000倍違うのですから当然です。 ファッションというところへ一段具体化してみましょう。 私みたいな人間がある着方をする。 ニックウースターが私と全く同じコーデで着る。 後者の方が説得力がありますね? ゲーム実況はどうでしょう? ある実況者を見て、好きになってしまいました。 すると何が起きるか。 その人がどんなゲームをやろうと、 シリーズ最後まで見るかどうかは置いておいて、 とりあえず見てしまう、のではないでしょうか。 うーん、やっぱり、 「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」になってる。。 さらにわかりやすく非情に言いましょう

とんかつ屋と熱

ぼーっとしていると動きたくなくなりますよね。 人っていうのは、肉体的に動かないのが好きなのでしょうか。 元来動きたくない生き物なのでしょうか。 脳科学的に言えば、 身体が止まっていると、止まっていることに 脳が最適化してくるから動きたくない、というような説明になるかもしれません。 このことは、別の視点(フィルター)から見てみたいなあと常日頃思っていました。 最近その一つのフィルターが見えてわかって来たような気がします。 「熱」です。 ——————— 人は活動をしていると、自分の周辺に空気(熱)を発する。 そしてその「熱」は、人は惹きつける効果がある。 「熱」の量が多ければ多いほど、人はそこに寄せられる。そして集まる。 ——————— いくつか例をあげますね。 たとえば、好きでよく行く、 行きつけのとんかつ屋さんがあるとします。 料理というのはかなり熱量が上がる行為です。 食事を作るのには、火を使う。油を使う。 熱気のこもる作業です。 また、火を使わなくても、 包丁を使います。まな板や、鍋も使います。 まな板と包丁がぶつかってトントンと音がします。 料理を作ってると、その人の熱量も上がるし、 場の熱量も上がっていきますね。 「キッチン」や「厨房」という言葉にはホットなイメージがあるのですが、 それは料理という行為そのものから発せられる「熱」の印象があるからでしょう。 その熱が人にこもり、場にこもるわけです。 僕は最近、実は人と場の 「熱気」に吸い寄せられているのかもしれない。 そう思うことがあります。 とんかつ屋さんが好きで ついつい通っているのは、 満腹感? 味? と考えてみると、実はそれらって どこのお店に行こうが大差は無くて、 好きなお店にはちゃんと「熱」が発せられている という共通点があり そこに引き寄せられているのでは? と。 (肉をガツガツと喰らう人間からもまた 「熱」が出る!出る! そしてそこに引き寄せられてついつい立ち寄ってしまう 私がいるわけです) そういう視点で考えてみた時に、「カフェ」は 若干熱量は下がるかもしれないですね。 「コーヒー」ってクールだし冷めた印象だし。 実は「熱」で人を集める(集客する)と いう点に

ミニモに美容

ミニモアプリで美容室を予約。 なんだか不思議な体験をしたので言語化してみまする。 ミニモアプリというのは、簡単にいうと 美容師さんのカットをお安く提供しますよ的な ナイスオファーアプリです。(違うか) ただ、永遠に毎回安くなるわけではなく、 初回とか、二回目までとかまでです、 (その美容師さんによって お得になる回数は設定されています)。 今回言語化したいのは 不思議な体験というのは ミニモアプリを使って初めて行ったとこの 美容師さんについてのこと。 なんというか、端的に行ってしまうと その方(女性)は、コミュニケーション能力が ほぼ「無い」ように思われたんです。 いや、私のようなコミュニケーション能力の無い 人間に無いと言われたく無いわという感じなんですが(笑) その娘、見た目はしっかりしてるんです。 黒Vネックのニット着てて細身でシュッとしてて、 仕事できそうな感じ。端正な顔立ち。 髪の仕上がりもきちんとしていたので、 カットの技術も確かにあります。 なのに、喋り出すとちょっとぎこちない。 というか、かなりぎこちない。 「だいじょうぶ?」って、 ちょっと心配になっちゃうレベル。 この人、昨日何か変なもの食べたのかなあ?と思うくらい。 (まあ実際それが原因だったら良いんですが) 髪切ってもらってる間、話しかけてはくれるんだけど、 言葉遣いもなんか合ってない。「かしこまりました」の連発。 なんかこう自分の言葉で喋っていない感じがしたんです。 誰かに喋らされているような。パペットマン的といいますか。 目線も合わせてくれず、目を逸らしがちだし。 この娘、疲れてるのかな? そこで、ふと頭をよぎった言葉。 この娘、自分の人生歩んでない。 なぜかそう思った。 誰かに歩まされている段階 ってあるとおもいます。 美容院内でなんらかの軋轢に揉まれているのかもしれない。 (少し薄暗くて病院みたいなので、そんな印象に一役買ってました) 人間関係かもしれない。 家族関係かもしれない。 あるいは本当に、昨日変な食当たりを起こしていただけかもしれない。 具体的にどういう状況に置かれているのかは わからないけど。 多分そうなんじゃ無いかと、 ふと思った。 自分の