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コーヒーについてご質問をいただきました。

以前、コーヒーについて何点かご質問をいただきました。 ありがとうございます。 Q. 「この出来なら缶コーヒーとしては及第点」 「これは缶コーヒーという枠組みの中ではまだよく出来ている」と感じる商品はありますか?   A. 缶コーヒーって、「ゲームの縛りプレイ」みたいな感じだとおもうんです。 コーヒー豆って、挽いた(砕いた)時点で、粉になりますが、 その時点で風味が一気に飛んでいきます。 バナナの皮をむいて放っておいたら、すぐ腐っちゃいますよね? ああいう感じです。 でそれを抽出して(プラス、よくわからない体に悪そうな ○○ 剤みたいなのも入れて)して、それを缶にしたもの。 それが缶コーヒーです。 わざわざ縛りプレイをしようとは思わないですね。 豆を挽いたらすぐ抽出し、飲む。っていうのを心がけてますし、 それがコーヒーのあるべき姿だと思ってます。 なのでここ数年しばらく缶コーヒー飲んでないので評価できません、ごめんなさい。 Q2. 場所的に、おすすめするカフェにはなかなか行く機会を作れそうにないので、缶コーヒーに限らず、コンビニ等の全国区で売っている商品、または「チェーン店の中でもまだマシな商品」みたいなものがあれば教えてください。   もちろん、「そんなものは存在しません!」という答えもアリだと思います(笑)   A. コンビニで言えば、セブンイレブンの 100 円コーヒー良いですね。 あれは、豆を挽いてからすぐ抽出できてるので。 (豆の保管体系がどうなってるのかが若干気になりますが・・・) 機械が作ってるので、味に変化が無く、飽きやすいのは欠点ですかね。 この方のブログを参考にするといいかもしれません。 全国区レベルでカフェを巡っておられる方で、 私もよく参考にさせていただいています。 http://tukanana.cocolog-nifty.com/blog/ http://gmen7388.blog.jp/ お近くにお店があったらぜひ足を運んでみて 「ホンモノ」と思えるものに出会ってみては。

調子は乗るためのもの

ふと気付いたこと。 「調子に乗る」っていう言葉があります。 ふだん、あまりいい意味で使われませんよね、この言葉。 ネガティブな意味で使われることが多いかなと思います。 何か行きすぎたことをした時に、 「俺、調子に乗っちゃった」みたいな感じで使いますね。 でも「調子に乗る」っていうのは実はいいことなんじゃないか って最近思います。 というのも… 調子というのは、=リズムのことですよね。 (英和辞典で「調子」と引くと「rhythm(リズム)」が出ます) リズムに乗れていないと、 人間って何にもできないんですよね。 自分のリズムに乗れていないと、 何かをやろうとする時に、 実行できないことがあります。 例えば。 誰か好きな人がいたとして。 その人に話しかけようとしますね。 でも、なぜか声がかけられなかった。 そういう時ってありますよね。 そういうのって、実は そもそも「自分のリズム」に乗れていないのが 原因だったりするかもしれないと思っています。 つまり、どういうことか。 じぶんの体のリズムが乱れていたり、 精神のリズムが乱れていると、 体の持つエネルギーが減っていくんですね。 で、エネルギーが減ると、 メンタルブロックっていう厄介なものが発生します。 (メンタルブロックっていうのは何かというと、簡単に言えば 「お前、それやめとけよ!」と言って 行動の邪魔をしてくる何か、のことです。) 上の例で言えば、 好きな子に話しかけようとしたけど、 話しかけられなかった わけですが、 このとき、何が起こっていたかを 言語化してみると、こうなるんじゃないかと思います。 ---------------- 自分の体や心がリズムに乗れていなかった。 そのせいで、エネルギーが減ってて、 メンタルブロックが発生して、 行動に移せなかった。 ---------------- ここまで考えてみると、 「調子に乗る」っていいことなんじゃないか?とも 思えてきます。 だって、調子(リズム)に乗れていないよりは、 乗れているほうがいいじゃないですか。 「調子に乗った」結果、もちろん、 悪いことが起こる可能性だってありますよ。 例えば、買い物をしすぎちゃ

視線の流儀

電車に乗っていると、 だいたい車内にいる6~7割の人は スマホの方を向いてます。 人が一杯いる車内って、視線の置き場に困りますね。 目と目が合うのってちょっと嫌です。 視線をそらしたくなると思います。 でもそらせない。(人がいっぱい居すぎたら尚更です) しかし最近は視線の置き場が ちょっと楽になったと思います。 みんなスマホのほうを向いているからです。 視線の先は、皆スマホ みたいなところがあります。 みんなスマホに心と視線を奪われてます。 ということは、ある意味 相手のことを見やすくなったのではないでしょうか、と思うんです。 「視線」という最大の敵がスマホに奪われたので、 少なくとも、相手の服装は見やすくなりました。 裏を返して言うなら、 「見られる率」も上がっているでしょう。 ファッションは結構注目されてしまうんだと思いますし ある程度洋服に気を使わないといけない、 ある層の人にとっては「めんどくさいなぁ」と思ってしまうような 時代になってしまったのかもしれません。 もう今から10年以上前のことですが、 イギリスに住んでいたことがあります。 海外に行ったことある人ならおそらく 誰でも気づくことでしょうが (ひょっとしたら僕だけかもしれませんが) 例えばロンドンで街中を歩くとします。 歩いていると、あることに気がつきます。 びっくりするぐらい、視線が合わないんです。他人と。 向こうから視線を投げてきません。 あまりにも投げてこないので、 こっちから視線を投げても、 完全に無視されました。さみしー。笑 これ、不思議なんですよねー。 「日本人なんか興味ないのかな?」と最初思いましたが 観察を重ねていくうちに、 そうでもないことがわかりました。 見ず知らずの人同士の様子とかを見てると やっぱり視線は交錯していません。 日本での電車内の例を先ほど挙げましたが、街中でも同じで、 少なくとも日本の都心部では、街中で視線ビームを 「受けずに」歩くのはほぼ不可能でしょう。 日本人は、他人がこっちに近寄ってきたら、 必ず一度は「見る」習性?があります。 「ガ

天然酵母スタイル

僕はお金を投票権みたいなものと考えています。 例えばカフェ A とカフェ B があるとします。 今日はどっちに行こう、と迷ったとします。 考えた末、カフェ A に行こう、と決めました。 お店についてエスプレッソを頼みました。 カフェ A を選択してエスプレッソを買ったのですから、 カフェ A に「投票した」ことになります。 カフェBには「投票しなかった」ことになります。 つまりお金を使うことによって投票しカフェAを選択している ということですから、 お金は投票権みたいなものではないか、と思うんです。 選挙で考えれば明らかですけど、 投票権って有限ですよね。 ふつう選挙では1票しか使えないですし。 その貴重な1票を使って、 自分が未来を託したいと思う政治家に投票するわけです。 お金に関しても同様のことが言えますね。 お金ももちろん、同様に有限です。 ある程度の限られた少ない額しかありません。 だから、貴重なお金を使って、 自分が未来を託せると思うものに「投票」するんです。 そう考えると、 コンビニにふらっと寄ってから揚げを買うのは果たして 正しい「投票」なのか?という疑問が湧いてきます。 僕は最近パンにハマっていて 毎日食べてる 天然酵母のパン屋さんがあるんですよ。 これが本当に美味しくてですね、 食パンが ジャムとかバターとかつけなくても そのまま食べられるくらい美味しいんです。 職場の近くにあるので いつも買ってきてはむはむしながら仕事をしています笑 食を通してエネルギーをいただいている感じですね。 このお店は天然酵母パンを売りにしているので パンを作るのも、運営や経営も大変だと思います。  パンって、ちょっとした場の雰囲気で味が落ちたりしますし、 添加物とか防腐剤も入れてないから あまり保存が効かないみたいです。 それでもこのお店は、 この天然酵母スタイルを貫き続けているようで、 いつも感心するんですね。 僕は「投票権」を使ってこういうお店に「投票」し続ける ことには意義があると思っているので、