ゲームは熱いのか?冷たいのか

最近、
ゲームに関して、いや
ゲームをするということに関して、恐ろしいことに気がついてしまいました。

ゲームをやっている間、「冷めている自分」にふと気づくことがあります。
やっている間というのはちょっと語弊がありますかね、
厳密に言えば、ゲームをし終わった時です。
「ああ、何やってんだろう」って思うんですね。


これは、いつから発生しているんでしょうか?と思って
昔を思い返してみました。
ゲーム自体は小学校の時からやっているけど、
そういや小学校の時から、そういう「冷めている感じ」はありました。


ちょっと別の言葉で考えてみると、
どうしてもゲームをしている間って思考停止してしまう。
ゲームをしている間の自分は、
以下のようになっているようです。

無表情
冷酷
無関心
怠慢

とにかく冷たい。
ゲームがこのような心情を助長する訳ではないけど、
どうしてもこういう「冷めた傾向」になってしまうのではないでしょうか。

良い面で考えてみれば、
リラックスしているとも言えるかな。
でも、大体の場合は「冷めた感じ」かなと。

「熱量」は低いジャンルだと思います。ゲーム。
人を熱くするものではなく、
どんどん冷却していくものだと思います。

そう気づいたこともあり、
私は最近ゲームから離れています。
PS4を持っているしゲームソフトも買っていますが、
いわゆる「詰みゲー」が増える一方で、
全然消化できていないです。
一時期のめり込んでいた
スマホのゲームも最近はほとんどやっていません。

最近熱くなれるようなゲームが無いのもまた一因ですね。

むかし、学校で友達とゲームの話をするときはちょっと熱くなりました。
でも今はそういうのも無くなって、かつ
熱くなるようなゲームもない。。 のが
昨今のゲーム界です。



しかし、最近「見ていて」熱いゲームがあります。

ゲーム実況動画です。

ゲーム実況動画っていうのは、いわゆる他人がゲームをプレイしている動画です。
YouTubeやニコニコ動画などに大量にアップされています。

自分でゲームをやっても楽しめなくなってしまった人がいる。
そこで、じゃあ他人のプレイを見てみたら?、となるわけです。

ゲームというものに「個人」という付加価値を付けたものが
実況動画です。

ゲームの楽しみ方をそういう風に「再定義」してしまったわけですね。


私はこの実況動画を、この2010年代という現代に産まれた
新しいゲームの楽しみ方なのではないかと思っています。

ゲーム実況動画を見ている時、自分はどういう心情なのか。

実は、ここには「熱」が発生します。

さっき「ゲームをやっている間は冷めている」と言いましたね。
いったいゲームをプレイするのと、何が違うのでしょうか?

ゲーム実況を見ている時、我々は実はゲームを見ているのではなく、
「実況者」を見ています。
そしてもっと厳密に言えば、
「実況者」の「熱量」を見ています。

(「熱量」というのは、別にノリノリな人みたいなのを熱量高いと
礼賛するわけではないです。
口調が静かな人でも、熱量を持っている人はいます。
それは例えば、毎日マメにアップロードしているとか
尋常じゃなく視聴者への対応がしっかりしていたりだとか
そういうのが「熱」となって伝わる場合もありますし
一概にこうウェーイウェーイしている人が熱量高いというわけではないです)


「ゲーム実況ってなんであんなに人気あるの?」と不思議がる人は
たくさんいますが、たぶん「熱量の高さ」っていう視点で見ると、
魅力に気づけると思います。
コアのフォーカスは「ゲーム」ではなく、
「人間」そのものに当たっているんですね。

そしてそれが爆発的にヒットしているということは、それはまさに、
「時代が求めていたもの」ということになります。

以前「何をするか」ではなく「誰が言うか」である、ということを書きました。
ゲーム実況プレイ動画の流行が示すのもつまりはそのことなんですよね。

「何をプレイするか?」ではなく、
「誰がプレイするか?」であると。

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